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Title

AZAGAS & ARCHIBOGS
THE SIXTIES SOUND OF LAGOS HIGHLIFE


azagas & archibogs
Japanese Title 国内未発売
Date the early - the mid 1960s
Label ORIGINAL MUSIC OMCD 014(US)
CD Release 1991
Rating ★★★★★
Availability


Review

 100以上の民族からなり、多様な言語、文化が混在するナイジェリアは、60年に英国から独立して以来、こんにちにいたるまで、つねに政情が不安定な状態に置かれている。そうした民族間の対立が一気に噴出した一例が、67年、イボ人が多く住む東部州が独立を宣言して連邦政府軍との内戦にいたったビアフラ戦争である。
 1952年、ガーナからE. T. メンサーとテンポスがツアーに訪れたのがきっかけとなって、ハイライフ・サウンドは当時の首都で文化の中心だった南西部の都市レゴスを中心にブームを巻き起こした。そして、50、60年代をつうじて、ナイジェリアのポピュラー音楽の主流をしめるにいたった。ところが、ビアフラ戦争の勃発がそんなダンスバンド・ハイライフの黄金時代に突如として終わりを告げた。
 
 ダンスバンド・ハイライフにおいて中心的な役割を担っていたのはイボ系のミュージシャンたちであった。かれらの多くは弾圧を避け独立闘争を支援するために東部州へ帰郷していったため、レゴスからハイライフの灯は一気に消え去ってしまった。そして、70年1月に内戦が終結したのちも、レゴスに二度とふたたびハイライフの灯がともることはなかった。代わって人気を博したのが、ヨルバ系のジュジュであり、ヨルバ出身のフェラ・クティがはじめたアフロビートである。
 
 ハイライフがすたれた要因としては、ほかにも、ロックのようなエレキ・ギターを中心にすえた小編成のバンド・スタイルが主流をしめるようになって、ホーン・セクションを備えたジャズ・バンド風のハイライフは時代遅れになってしまったこともあげられよう。
 
 それでも、イボ人たちが多く居住する東部州とナイジェリア中西部州ベニン・シティでは、いまでもハイライフはギターバンド・スタイルにかたちを変えながらしぶとく生き残っている。ローカル・カラーはいっそうつよくなったものの、とらえ方によっては、むしろビアフラ戦争後にこそナイジェリアの(というよりイボの)ハイライフは、音楽的に、より多様性を獲得していったようにも思われる。
 
 本盤は、ビアフラ戦争前のレゴスで展開された黄金期のダンスバンド・ハイライフの演奏を収めた貴重な記録である。“貴重”というのは、ナイジェリア・ハイライフのパイオニアであるボビー・ベンソン、ロイ・シカゴなど、ビアフラ戦争前の演奏はほとんど復刻されていないからだ。せいぜいレックス・ローソンと、先ごろナイジェリアのプレミア・レーベルから復刻されたヴィクター・オライア(ビアフラ戦争前の録音かどうかいまひとつ定かでない)ぐらいのものだろうか。また、たんに“貴重”というだけでなく収められたバンドの演奏内容がすばらしく、本場ガーナにけっして引けをとっていない。
 
 ガーナのダンスバンド・ハイライフは、スウィング、ジャズ、ラテン系音楽などにつよく影響された優美で洗練された音のタペストリーが特徴だったが、ナイジェリアのそれは、もっとにぎやかでパーカッシブな印象を受ける。これは、ナイジェリアという多種多様な民族文化のるつぼに投げ込まれた結果、さまざまな民族的な出自をもつメロディやリズムを身にまとったためだろう。加えて、ギター・ワークにはルンバ・コンゴレーズからの影響が感じられる。
 注意すべきは、ビアフラ戦争前と戦後のナイジェリア・ハイライフにおける“多様性”のちがいである。戦前の“多様性”は、ハイライフを核とする民族文化の“多様性”であるが、戦後の“多様性”は、イボ系の文化を核とする音楽スタイルの“多様性”である。
 
 能書きはこの程度にとどめておいて、ここらで本盤の内容について具体的にみていくこととしよう。といっても、ここに収める9バンド全22曲にかんするデータはほとんどないため、以下はあくまで耳だけを頼りに書いたものである。
 
 オープニングをかざるのは、チャールズ・イウェブグとアーキボッグスの5曲。「カンカン、カカンカッ」とカウベルのシンコペートするスピーディなリズムにのせて、バンドのメンバー紹介からはじまる'OKIBO' の、思わず踊り出したくなるような楽しさはどうだ。この1曲だけですでに“OKサイン”を出している自分がいる。
 つぎの'IGWALA' は、曲タイトルの横にイボのネイティブ・ブルースとある。ハチロクならではのギクシャクしたリズムに合わせて、トランペットとヴォーカル、それらに呼応するホーン・アンサンブルがシンプルなコーラスをくり返すだけなのだが不思議な深みが感じられる。つづく2曲はいずれもイボ・ハイライフとあるが、そこはかとないおとぼけ風味にカリプソのにおいさえする。まろやかなスウィング調のホーン・アンサンブルと軽くバウンスするパーカッションが心地よい。柔らかで変幻自在のアルト・サックスのソロも最高。これぞハイライフの醍醐味。しあわせ気分にひたれます。5曲目は、ガーナにくらべるとパーカッションがドタバタとにぎやかなナンバー。エレキ・ギターにはあきらかにフランコあたりのルンバ・コンゴレーズの影響が感じられる。
 
 エディ・オコンタとトップ・エイセズには、なによりも演奏能力の高さと楽曲構成の緻密さにおどろかされる。リード・ヴォーカルも、オッサン系だったアーキボッグスとはことなり流麗なクルーナー系。ディジー・ガレスピーっぽいハイトーンのトランペットをはじめ、分厚いホーン・アンサンブルも、華麗なギター・ワークもかなり本格的なジャズ・バンド・スタイルである。
 しかし、なんといっても圧倒されるのがド迫力のヨルバ系パーカッション。ただしトーキング・ドラムではなく、ティンパニをトーキング・ドラム風にピッチを変えながら叩いているように聞こえる。わたしは、ジョン・ボーナムの「モビー・ディック」を想像してしまった。
 ピジン・イングリッシュで歌われる'AYBROKPE' を除く3曲には、音楽のスタイルに“ヨルバ”の文字がみえる。いってみればハイライフとジュジュが融合したようなビアフラ戦争後のハイライフではまず聴くことができない混血音楽である。
 
 エリック“ショウボーイ”アカエゼとアザガスは、イボとヨルバそれぞれのハイライフを披露。といっても、'IKOTO PT.1' というハチロク系の曲には、イボに加えてイジャウのクレジットがみえる。おそらくイジャウの伝統音楽をベースにした曲であろう。ちなみに、イジャウというのは、ナイジェリアの中央部を貫流するニジェール川下流のデルタ地帯に居留する民族。
 一転して'ADUNNI' は、キャッチーで陽気なハイライフ・サウンド。ヨルバ・ハイライフとあるとおり、後半にはしっかりパーカッション・ソロが用意されている。ここでのソロ楽器はドラム・キットとコンガ。
 そして、'DIOGHI' は正真正銘のイボ・ハイライフ。ハチロクのリズムにのせて、リード・ヴォーカルが主題を提示すると、これにコーラスが返答するという、いわゆるコール・アンド・レスポンスがくり返されるうちに音楽が徐々に膨らんでいくチーフ・ステフェン・オシタ・オサデベにもみられる典型的なイボのパターン。ここでのコンガ・ソロは前のヨルバ系の曲でのパーカッションとはあきらかにリズムがちがっているのがおもしろい。ちなみに、このバンド、キイを握るのは縦横無尽に転がり続けるベースであるとわたしはみている。
 
 中盤以降は、各バンド1、2曲程度だが、いずれも充実した演奏内容。偶然なのか、当時のハイライフ・シーンがそうだったのか、意外なことに“ヨルバ・ハイライフ”とあるものが大半をしめる。
 イサイア・エジレ・ケヒンデとトップ・モダン・スターズの2曲は、どこが“モダン”なんだか、ガーナの“正統派”ダンスバンドとくらべるとガサツというか、ずいぶん野趣にあふれた歌と演奏だ。トランペットにしてもエディ・オコンタのバンドほどうまくはないが、羞恥心が微塵も感じられず大いによろしい。ドタバタした祝祭感覚がとても楽しい。
 
 オル・ライト・タイム・オーケストラと聞くと、なんか管弦楽団を想像したくなるが、じっさいはヴォーカルとパーカッション隊にトランペットが加わった編成。もちろん、トーキングドラムなどの民俗打楽器が存分に活躍し、声をひしゃげた感じのオッサン風のリード・ヴォーカルと、このオッサンへの絶対服従を誓わされた若衆風のコーラスとが相まって、ハイライフというよりほとんどフジ。
 
 本盤のなかで、もっとも不思議な感じがしたのが、トゥンデ・オショフィサンとリズム“ファダカス”によるヨルバ・ハイライフ2曲。もちろん、ここでもトーキングドラムが大活躍しているのだが、歌の優雅な感じはフレンチ・クレオールっぽいというか、小アンティル諸島の音楽の香りがする。また、曲調としては、キューバのサンテリーアとか、ブラジル・バイーア地方のカンドンブレなどに起源をもつ西インド諸島のカルナヴァル的な要素が感じられるなんとも興味ぶかい事例。
 同じくヨルバ・ハイライフとあるE. C. アリンゼとヒズ・ミュージック(バンド名)の演奏はわずか1曲といえ、ドライでリリカルなアルト・サックスと快活なトランペットが光る、なかなか洗練されたはカリプソ調のサウンド。

 東部州とともに現在もハイライフ人気があるのが中西部州ベニン・シティ。エイベ・レバリーとレバートーン・エイセズの2曲は、“ビニ/エサン”とあり、ベニン・シティ周辺に住むビニ人の伝統音楽を下じきにしているものと思われる。リード・ヴォーカル、またはトランペット、トロンボーンなどソロ楽器とコーラスとのコール・アンド・レスポンスからなるハチロク系の曲'OZEDE' は、キューバのデスカルガのような雰囲気。ギターのカッティングも光る。つづく'OYENONKHUA' も立ち止まりながら走るみたいなギクシャクしたリズムがミョー。勘ぐりかもしれないが、ブラバンっぽいホーン・アンサンブルなんかコロンビアのクンビアのようにも聞こえなくはない。
 ちなみに、わたしがナイジェリア・ハイライフのデイヴィッド・ボウイと勝手に呼んでいるサー・ヴィクター・ウワイフォもベニン・シティ出身。
 
 ラストをかざるはプリンス・カヨスン・ドスムとダンディーズ。タレ流しのようなヴォーカルのスタイルがいかにもヨルバ的。ホーン・セクションはいっさい使われておらず、ここにいたってはダンスバンド・ハイライフという形容はもはやあたらない。ジュジュというべきだ。エレキ・ギターがなかなか聴かせます。
 
 以上、内容をざっとみてきたが、1、2曲ぐらいは捨て曲があってもよさそうなものだが、まったく肩の力を抜くところがないというのは、いかにこの時代のハイライフの水準が高かったかということを物語ってあまりある。こういうすばらしい音楽がほとんど復刻されていないというのは、ホントに惜しいことだと思う。アフロビート系の音楽ばかり復刻するヒマがあったら、その労力をすこしでもビアフラ戦争前のハイライフの復刻作業にむけてもらいたいところだ。


(6.15.03)



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by Tatsushi Tsukahara

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